la vita attiva

人生楽しく。料理と音楽と写真と朱印巡りと。

実家の荷物整理。

昨日は休日を利用して、実家の最後の荷物整理に行ってきました。

 
 
 
3月をもって自分が生まれ育った家がなくなるというのは、これまでの20年分の思い出がスーッと無くなっていくような気持ちになって、少し寂しい気持ちになります。
 
 
 
小学生の時に図工の授業で使ったスケッチブックが出てきて中を見るとクラスメイト1人1人の人物像が書いてあったりして、おいおい、そういえばペアを組んでそんなことした授業あったな、と頭の隅の隅の隅の記憶を引っ張り出されたり。
 
 
 
 
 
MDも懐かしいですね。せっせと自分の好きな曲を入れて、その時の自分Bestみたいなものを作った経験がある方は多いのではないでしょうか。
自分が作った初めてのMDの1曲目は"サウダージ"、2曲目が"ミュージックアワー"、15曲目が"夢であるように" でした。
 
 
 
 
任天堂64、悲しいですね。泣く泣く処分します。友人が遊びに来た時には今でも現役でした。
雪の降ったクリスマスにスーパーマリオ64のソフトをビニールから出した瞬間の興奮を今でも覚えています。
 
そういえば、最近、使ってなかったヨドバシのクーポンでWiiUを買いました。
マリオカートもナンバリング8。スマブラもオンラインで出来るし、"今"のゲームってやっぱり進化してて楽しいですね。
 
 
 
 
小さい頃に遊んだおもちゃの数々、カードゲーム、中学高校時代に読んだ小説、サヨナラです。
 
 
 
結局持ってくものは楽器類譜面と少々の服、野球のグローブ1つ、テレビ、ps3WiiU、(あと麻雀牌。。。)、今を生きていくのに必要なものって意外に少ないものですね。これでも持って行きすぎているのかもしれない。
 
 
 
どこか寂しい気持ちになるのは、その品達が物的に消滅することではなく、その品達にまつわる記憶を思い出す機会を大いに損失することにあるのかもしれません。
死ぬまで思い出さない記憶もあるんでしょうね。図工のスケッチブックなんて絶対に自力で思い出すことはなかった。
 
 
でも、思い出ってそんなもんですよね。
何かのきっかけにふと思い出して、何かしらの感情を少しの時間抱く。
 
どっぷり浸からず、そのくらいの距離感がちょうどいい。
 
 
今回の引越しで僕はそう思いました。
 
 
 
 
 
とりあえずスマブラWiiU少し練習します。