生きる事と仕事をするということ。
何の為に生きているのか、誰しも一度は思う事はあるのではないでしょうか。
少なくとも、自分はこの人生で何百回と考えてきてはどつぼに嵌ってきました。
我々が人生の意味を問うのではなく、我々が人生に意味を問われているのだ。
というのはヴィクトール.フランクルの言葉ですが、僕は究極的にこれに尽きると思っています。
そもそも何で人生の意味をご丁寧にも用意してもらっていると思っていたのか。このフレーズを本で読んだ時にどこか驕っている受動的な自分がいることに気付いて恥ずかしくなったことを思い出しました。
そして、つい最近もそんな駄目な自分に飲み込まれていたんじゃないかと率直に思うわけです。
仕事うまくいかないな、辛いな、辞めていっそ楽になりたいなと、思うわけですね。
でも家賃はどうやって払っていくんだよ(笑)と、現実を冷静に受け止める自分もいて。
とりあえず派遣に登録してバリバリ稼いで(今と同じ労働時間を派遣なりアルバイトなりに充てれば、少なくとも今の給与の2倍近くは稼げるはずですから。)それなりに貯金してぶらぶら旅行にでも行ったりして...そんなどことなく現実的な妄想を描くんですね。
別にそういう人生を過ごしたって一向に構わないのだけれど、ここでふと気付いたのは、自分の選択した道で自立して生きていくっていうのは最低限で当たり前である一方、尊くて、自由なんだなと。仕込み用の人参をカッカッカッと切りながら、何か一人でなるほどなと(笑)
そう考えた時に、仕事っていうのはまた尊いと思ったのです。仕事=人生ではないけれど、人生の集合体の中で仕事は(もちろん個人差はあれど)大きなウェイトを占めているのもまた事実で、自分の場合は音楽なり料理なりで人を感動させる仕事に憧れて今に至っているのではないかと、これまた人参を切りながら気付くわけですね。
だとするならば、明日からの自分の態度は固まったも同然で、余計なことを思い悩んでいる暇はない。
まずは”料理人”として自分一人の力で生きていくこと。
これが自分の今の”生き方”でいいんだなって人参を切り終えつつ、強く感じた日なのであります。